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サカマタ(シャチ)にみられた急性中毒性胃腸炎の治療例
発行年・号 | 1985-27-03 |
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文献名 | サカマタ(シャチ)にみられた急性中毒性胃腸炎の治療例 (A Case Report of Acute Gastro-enteritis Toxica in a Killer Whale, Orcinus orca Masao Yonezawa, Teruaki Hayashi, Kouji Imazu and Toshihiko Maeda ) |
所属 | アドベンチャーワールド |
執筆者 | 米澤正夫,林輝昭,今津孝二,前田俊彦 |
ページ | 40~43 |
本文 | サカマタ(シャチ)にみられた急性中毒性 胃腸炎の治療例 アドベンチャーワールド 米澤正夫,林輝昭,今津孝二,前田俊彦 A Case Report of Acute Gastro-enteritis Toxica in a Killer Whale, Orcinus orca Masao Yonezawa, Teruaki Hayashi, Kouji Imazu and Toshihiko Maeda (Adventure World, Wakayama) 大型鯨類における疾患時の観察,検査,治療処置方法は,生活環境が水中であることから,陸生動物とは違った面で困難である.今回,当館で飼育しているサカマタ(個体名ベンケイ)が,突然,元気消失,体温上昇,粘液便排泄等の食中毒症状を呈したが,発病直後に抗生物質,強肝剤,栄養剤の投与に加え,胃内カテーテルによる水分補給を続行したところ,症状が好転し,約7日間の治療で治癒を認めた.その経過を報告し,併せて以前に同様の症状で死亡し,今回の治療の上で参考となった. 個体(個体名キアヌ)及びベンケイと同群の個体(No.1,No.2)の経過,検査成績,治療について比較検討を加えた. 症例 罹患動物 サカマタ Orcinus orca,個体名:ベンケイ,性別:雄,1979年2月26日捕獲,体長:560cm,体重:2850kg(1983年5月19日測定) 捕獲場所:和歌山県太地沖 当館搬入日:1979年4月7日 飼育歴:2000日(1984年8月17日現在) 検査及び治療方法 1.使用治療器具及び薬剤 注射針:ロングサイズ・メディカット14G×14cm 経口的補液注入に使用した器具:直径2.5cm,長さ5 mのメッシュ入りビニールホース,ロート,開口器として,直径10cm,長さ2mの丸材. 保定:サカマタの輸送用担架と輸送枠(コンテナー) 抗生物質:Ampicillin (Poly flex®, Ohtecine Sol) 抗ヒスタミン剤:Neo-Minophagen C. Strong® 栄養剤:Mult-B-Super®, 総合ビタミン剤,ブドウ糖,乳酸リンゲル液 強肝剤:タチオン末® 整腸剤:ビオフェルミンR® 2.採血針及び採血部位 18G11/2を使用し,尾鰭の基部から両端に向かって走る静脈網でかこまれた動脈から,抗凝固剤EDTA(K3)入りの管とEDTA(K3)-freeの管の2種類に採血した. 3.検査方法 血清分離は3000rpm,10分間遠沈した.検査項目は以下に述べる方法で,血液学検査と生化学検査及び蛋白分画について行った6). 血球数の算定:赤血球数,白血球数,ヘモグロビン,PCV(血球容積)は Coulter counter Model-S (アメリカコウルター社製)を使用した. 血液像は,May-Giemsa複合染色;血清総蛋白は,Biuret法,血清蛋白分画は,セルローズ・アセテート膜電気泳動法;トランスアミナーゼ活性(S-GOT,S-GPT)は,Reitman-Frankel法;アルカリホスファターゼ活性は,Kind-King変法;乳酸脱水素酵素活性(LDH)は,Babson-Phillips法;血糖は,Glucose-Oxidase法;中性脂肪,トータルコレステロール,エステルコレステロールは,酵素法;血清尿素窒素量は,Urease法;アミラーゼは,Caraway変法で測定した6). 4.臨床経過 1981年4月29日,前日まで摂餌状態(サバ50kg /日)と行動に異常が見られなかったが,朝の初回給餌時から,人への接近と反応が共に悪くなり,又触診による体温上昇と食欲不振及び粘液便等が認められた.同様の症状は,さらに他の飼育鯨類にも発生したため,この時の餌(サバ)を調査した所,長期冷凍保存による,いわゆる脂やけ状態が見られ,解凍した魚の1部であるが肉質は,弾力性,光沢に欠け,内臓は変質が認められた. また,半数以上がオキアミを食した魚であった.以上における症状と餌の状態から,餌の不良による急性中毒性胃腸炎と診断した9). 治療方法として,プールの水位を50cm位まで落とすことによって体の動きを抑えて,尾鰭の血管から10㎖を採血し,背部の皮下及び筋肉内に抗生物質(Ampicillin)15gとビタミン剤(ビタミンB製剤)10㎖を筋肉内注射,抗ヒスタミン剤50㎖を皮下注射した4)5). 4月30日,前日と同様元気がなく食欲不振が続き,体温下降が認められ虚脱熱の状態が見られた. 抗生物質(Ampicillin)16gを筋肉内注射,抗ヒスタミン剤50mgを皮下注射した. 5月1日,罹患個体を輸送用担架に乗せ輸送枠(コンテナー)に固定し(写真1),開口させるため前述の丸材を口内にかませ,胃カテーテルで,水6 ℓ,ブドウ糖粉末500g,乳酸リンゲル液2ℓ,総合ビタミン末30g,強肝剤30g,抗生物質(Ampicillin)30gを胃内へ注入した(写真2).同時に抗ヒスタミン剤50mgを皮下注射,及び採血10mgをした.治療処置して約30分後,人への寄りの反応が良くなり,行動にも好転が見られた. 5月2日,行動と人への寄りの反応が共に発病時と比べて良くなったが,食欲は見られなかった. 治療処置は,5月1日とほぼ同様に,水8ℓ,ブドウ糖粉末500g,乳酸リンゲル液2ℓ,総合ビタミン末30g,強肝剤30g, Ampicillin30gを経口的に投与した. 5月3日,行動,反応共に好転し摂餌を開始した.しかし1日分の給餌量は,まだ胃腸の機能が完全に回復していないことを配慮し,絶食後の胃腸への負担を少くするため減量して,総合ビタミン剤,強肝剤,抗生物質,整腸剤等を入れたサバ6kgを1日2回に分けて給餌した.その後,体調に異常が認められず推移したので,日給餌量を漸次増量し,5月10日には40kg / 日,5月18日には50kg/日と摂餌するまでに回復した. 血液所見 罹患動物ベンケイの採血時期は,今回の急性中毒性胃腸炎発病時の2回と,捕獲時,輸送時及び,調教中に使用していた発泡スチロール製の浮き(16×11cm)を誤嚥した時,それから2回の検診時の合計8回で,それらの各時期に得られた検査結果を示した(表1). 写真1 輸送用担架に乗せ輸送枠(コンテナー)に固定 写真2 胃カテールによる経口的補液 写真3 門脈域の線維性の拡大と細胞浸潤をみる(H· E染色). 写真4 門脈域の強拡大像,浸潤細胞に主に単核性の慢性炎症細胞によりなる.肝細胞には脂肪変性を認める(H・E染色). 症例の診断,治療処置を実施する上で参考とした個体の臨床経過 固体 サカマタ Orcinus orca 個体名キアヌ,性別 雌,体長600cm. 当館搬入日:1978年4月17日(米国の Marine World Africa で飼育期間10年の個体) 当館での飼育日数:800日 臨床経過 1980年5月30日までは食欲,行動に異常は認められなかったが,5月31日の昼ごろから原因不明の食欲不振となり,行動,人に対する反応が共に悪化を呈した.この症状は6月2日まで続いたが6月3日には,体を水面と垂直状態にし,上下に浮き沈みする呼吸動作が見られるとともに,嘔吐が見られたので検査を開始した. 血液検査は尾鰭の血管から採血し,治療処置としては,抗生物質,栄養剤の筋肉内注射を実施した.尚,抗生物質,栄養剤の種類, 量は, 前述のサカマタ(ベンケイ)とほぼ同様であった. しかし,6月4日,嘔吐が激しくなり,その後,昏睡状態に陥り溺死した. 解剖所見では,皮下脂肪は著しく厚く,下腹部脂肪層で17~20cmを示した(捕獲後,53日目で死亡した体長605cmの雌個体における下腹部脂肪層の厚さは,約10cmであった).第1胃は,粘膜剥離(びらん状態)を示し,小腸,大腸全域の炎症が認められ大部分で粘膜出血を伴っていた.腸間膜の充血は高度であった. 肝臓は,表面平滑であったが組織学的には,ヘモジデリン沈着を伴う慢性肝炎像を示していた(写真3・4). 脾臓は,直径約20cmに腫大していた. 以上の主な所見から急性中毒性胃腸炎の診断が得られた. 血液所見 キアヌの血液検査結果は,死亡前日の急性中毒性胃腸炎時に採血し得られたもので,ベンケイと同じ群のNo.1, No.2は,健康と思われる捕獲時に採血した結果である(表1). 表1 対象個体と採血日 表2 血液検査結果 結果及び考察 各項目の検査成績は表2に示す. 罹患動物ベンケイにおいて,赤血球数,PCV(血球容積),Hb(ヘモグロビン)の増加が,捕獲直後の餌づけ期間で摂餌状態が不安定な時の-3病日と発病時の第1病日に見られ,軽度の脱水症状が認められた. 白血球数に関しては,キアヌの発病時では極端に低値であり,これは重症感染症による感染に対する防禦機構の低下が考えられるが3),ベンケイにおいては,発病時に特に変動は見られなかった(図1). ベンケイにおける血清酵素値S-GOT,S-GP T,LDHは,捕獲時の第-4病日において,健康と思われるNo.1,No.2との差異は見られなかったが,発病時に軽度上昇が見られ,第3病日(異物誤嚥時)に高値が認められた. アルカリホスファターゼ値は,キアヌは発病時では極めて低く,ベンケイでは,第3病日において高値が見られた. ベンケイ発病時,摂餌量の低下と胃腸障害による腸管吸収の悪化のために,トータルコレステロール,エステルコレステロール,中性脂肪,血糖値に低下が見られ,アミラーゼ値に変動が見られた8)(図2). これらのデータの結果は,ベンケイ,キアヌに臨床的に見られた急性中毒性胃腸炎の診断を裏付けるものである. また鯨類の血糖値は,他の哺乳類よりもやや高値を示す.これは長時間の深い潜水に適応し,脳に十分な栄養を補給するためであると考えられている1) 8). また血糖値は,異なる種属による数値の相違の他に,同一個体内においても,採血時の種々のストレス,季節,年令,肉体的精神的状態の影響がある3). しかし今回の低血糖値は,これらの諸々の影響よりも,摂餌量の極端な低下による変化と考えられる. 治療方法について.胃腸障害にもっとも根本的な治療は,胃腸への負担を軽減することであり,急性障害の場合は食餌を完全に停止させること,そして,完全な停止を長期間続ける必要が認められたら非経口的栄養で栄養的恒常性を維持することとされている2). 今回は,結果的には食欲不振となり2日間の絶食期間があったこと,脱水症状に対しては経口的補液を,低血糖に対してはブドウ糖を,また胃腸炎に対しては抗生物質の投与を施した.しかし,この様な疾患時における治療方法に,いくつかの問題点が考えられる.それは大型鯨類の場合,治療処置時において,体がたいへん大きく体重が3トン近くあることから作業面で多くの難点がある. 第二点は非経口的栄養補給の選択及び投与量とその期間,第三点は抗生物質の感受性試験の実際或いは,その選択,投与量等があげられる.特に胃腸疾患における抗生物質の使用については,それが合理的にせよ非合理的にせよ,身体全体の正常細菌叢を変化させることから2),さらに細菌学的な検討が必要と考えられる.この様に大型鯨類の疾患の治療は,その方法が普遍化しておらず,従って色々な治療法,また色々な問題点が含まれている. 次に食餌の取扱いの問題点として,鯨類を飼育する場合,大量の餌を常時確保し,年間を通じて安価に入手できるものでなければならない点から,餌として主にサバを一度に大量購入する.このため長期冷凍保存の傾向になりやすく,脂やけする危険が多く含まれている.(サバの保存期間4ヵ月以下). 特に魚の内臓は傷みやすく,外観は良い状態であるものでも,内臓が変質している場合がある.このことから内臓を抜いた魚を与える方法もあるが,丸魚を与えることと比較し栄養価値等の問題点があげられる. 今回のベンケイでの治療は幸い症状の好転をみたが,餌の取扱い及び治療にあたっては,一層の慎重な配慮が望まれる. まとめ 急性中毒性胃腸炎を発症したサカマタの臨床症状,検査成績,それに治療方法について報告した.臨床症状は,典型的な急性胃腸炎症状を示し,また検査成績では,それを裏付ける結果,即ちトータルコレステロール,エステルコレステロール,中性脂肪,血糖値の低下,マミラーゼ値の変動が見られた. さらに軽度の脱水傾向を伴っていた. 治療においては,発病直後の抗生物質投与に加えて,胃カテーテルによる経口的補液が,体調の好転に結びついたと考えられる. 終りに臨み有益な助言を下さった鴨川シーワルドの鳥羽山照夫館長,並びに何かと御協力下さった当園の尾崎義正氏をはじめ係員の方々に深く感謝の意を表する. 図1 白血球数の推移 図2 アミラーゼ値の推移(個体別は図1に同じ) 引用文献 1) M. E. Fowler (1978): Zoo and wild animal medicine. 555~610, W.B. Saunders Co,. Philade-lphia 2) R.W.Kirk (1980) : Current veterinary therapy.Ⅶ Small animal practice. 829~939, W. B. Saun-ders Co., Philadelphia 3) 小酒井望 他(1975):検査データのよみ方・考え方. 66~263, 宇宙堂八木書店,東京 4) W. Medway and J. R. Geraci (1964) : Hemato-logy of the bottlenose dolphin (Tursiops trunca-tus). The Amer. J. of Physiology, 207,6,1367~1370 5) W. Medway and J. R. Geraci (1965):Blood chemistry of the bottlenose dolphin (Tursiops truncatus). The Amer. J. of Physiology, 209, 1,169–172 6) 中村良一(1973) : 臨床家畜内科診断学, 147〜311, 養賢堂,東京 7) S. H. Ridgway, J.G. Simpson, G.S. Patton and W.G. Gilmartin (1970): Hematologic findings in certain Small cetacears. J.Am. Vet. Med.Assoc., 157, 5, 556~575 8) S. H. Ridgway (1972) : Mammals of the sea, Biology and medicine. 590~747, C. Thomas, Sp-ringfield 9) 柴内大典 他(1972):最新家畜内科学, 11~97, 南江堂,東京 (1985年1月31日原稿受付) |