レオポンの誕生

発行年・号

1959-01-02

文献名

飼育下グラントシマウマの発情日数と発情周期
(The Birth of the“Leopon”)

所 属

甲子園阪神パーク

執筆者

土井弘之

ページ

32〜35

本 文

広島市安佐動レオポンの誕生

甲子園阪神パーク
土井弘之

The Birth of the“Leopon”

by Hiroyuki Doi,(Koshien Hanshin Park Zoo)

1.父母獣の選定確保まで
甲子園阪神パークでは、1954年当園でのライオン、ヒョウ等ネコ科猛獣類の繁殖状況と、その成功度からの自信にもとずき、これらネコ科猛獣間の一代雑種(F1)即ち、ライオンとトラの雑種ライガー(Liger)及びタイゴン(Tigon)、あるいは、ヒョウとライオンのF1であるレオポン(Leopon及びライバード(Linard)等の繁を計画した。
世界各国の状況を調査したところ、タイゴン及びライガーについての繁殖記録は数例あるが、レオポン及びライバードについては、その報告は、極めて稀であり、殊にヒョウ♂とライオン♀との一代雑称(F1)即ちレオポンについての記録は見出すことができなかった。※
そこで、世界に殆んどその例を見ない、このレオポンの繁殖を決意して、父母獣の選定確保に乗り出した。幸いにして当園では、これらネコ科猛獣の繁殖は毎年まことに順調だったので、自家繁殖によって父母獣を確保すベく、祖父母獣の交尾、妊娠、分娩及び父母獣の誕生に関して特別の考慮を払った。(第1表)

第一表 レオポン系図

1955年1月3日ヒョウ♂の誕生を見、引続き全年3月22日にはライオン♀が誕生し、ここに計画渡り父母獣を選定確保することができた。
保育中、予定していたヒョウ♂には、1955年9月13日に下痢及び神経性腰麻痺(10日間で治癒)、全月3日に便秘性腰麻痺(1週間で治癒)等の疾病や事故がおきたため、一時は予定していたものとり換えを考慮したこともあったが、種々の条件からおして、継続するのが最善であると考え、飼育、保健に一段と専念し、初志の貴につとめた。1955年12月24日、甲子園にちなんで、ヒョウ♂を甲子雄(カネオ)、ライオン♀を園子(ソノコ)と命名し、共同生活をさせる事に成功した。その後、飼料の配合、給与量、ホルモン剤液与、その他保健に関して特別の研究を行って、慎重な飼育管理にあたった。(第2表)また、獣舎の暖房には電気ヒーターを用いた。(第3表)その間、幾多の障害に遭遇し、継続を断念しようとしたのも、数回に止らなかった。

第二表
父母獣の飼料の配合及び給餌量(1日1当り)

第三表
獣舎内の温度及び甲子園阪神パークでの気温
(1956.1.1.~1959.10.31の月別平均温度)

2.発情、交尾、妊娠
1957年6月1日より、♂にはオイべスチン錠、♀にはエナルモンB錠を与え、1958年12月3日まで続けた。
1958年6月9日及び12日に、待望の発情が♂、♀ともに現われたが、交尾は確認することが出来なかった。
1959年3月及び6月には、それまで不可能かと憂慮された交尾が、それぞれ3回ずつ確認された。期待の中に特別管理に入ったが、妊婦の徴候は現われず、失望したが、一方では成功の近いことを感じた。
全年7月22日から24日にかけて、4回の交尾を確認することが出来た。発情周期から推察して妊娠を直感し、期待を深めて、母獣の体形の変化、動作等に細心の注意を払って観察を続けた。
1959年9月末に至って、ようやく妊長の徴候が著しくなり、全年10月中には、遂に妊娠を診断確認した。以来、毎日、8時、10時、12時、14時、16時、18時を調査時間として父獣の動作、母獣の腹部及び乳房の変化、動作、摂食状態などについて、綿密な計察を実施してきたが、全年11月2日に至るまで、著変は認められなかった。

3.分娩と授乳
1959年11月2日 月曜日 終日小雨
気温 最高22℃、最低17℃ 獣舎内温 最高21℃、最低19℃
第一回目の観察をした処、前日まで左程に感じられなかった腹部が著るしく垂下し、動作に落付きが無く、獣舎内を絶えず徘徊し、常に何ものかを探索しているのが判然と観察された。
第二回目は、毎月曜日の献立通り生兎1,800gを給与して観察したが、第一回目と同様、特に変った徴候は見られなかった。
第三回目の観察の際は、特に私を避け、警戒の様子が、その動作及び眼に判然と現われ、獣舎の内外を往復し(本日は雨の為、自由に獣舎内外に出入出来るように仕切の鉄扉が開かれていた)、あるいは座し、あるいは起立のまま四囲をふり向き、また私の凝視に異様を感じてか、獣舎外から観察すると獣舎内へ、獣舎内へ廻ると獣舎外へと私を避けていた。第二回目に投与した生兎は、約1/2を残して散乱させていた。
妊娠月数が、ヒョウでは90~95日、ライオンでは105~110日であることから、分娩はライオンよりいくらか早く、103~107日の間にあると推定すると、7月24日の推測受胎目から数えて、本日で101日となる。あと3~4日、遅くとも一週間以内に行われるものと推断して、分娩の準備に取り掛った。
第四回、第五回目の観察時も、略々同様な状態が続いた。
16時35分、従業員の報告によってかけ付けて見ると、獣舎外において、文献が、レオポンをくわえて、何れかへ運び去ろうとしている処であった。私達は、レオポンが動かず、泣かず、ぬれねずみのままダラリとぶら下げられているのを見た。流産か、死産か、貴重な記録だ、何とか死体だけでも……と考えながら、私達は父獣を獣舎外に隔離すべく獣舎内に向って突っ走った。母獣は起立のまま獣舎内において恐怖の眼を以って私達の様子をうかがっていた。父獣からレオポンを引離すために釣り餌を取りに走るもの、獣舎内外を仕切る鉄扉の処へ走るもの、父獣を獣舎内に誘導せんと声をかけるもの、敷藁を取りに行くもの……この騒ぎに父獣は驚き、何を思ってかレオポンをくわえたままで獣舎内に入り、床に置くと直ぐまた獣舎外へ出て行った。母獣はレオポンを省り見ず、父獣の後を追って獣舎外ヘ一旦出たが、またすぐ引返して来た。16時38分、遂に父獣には隠された。其の瞬間、レオポンが体を起して、ニコニコと二三歩動いた。私達は準備された敷藁を若干差し込み、後事を母獣に委せて様子を見る事とし、獣舎内から出た。
助かるかも知れない。何とか助かって欲しいと願いながら、物陰にかくれて呼吸をひそめ、獣舎内の様子に耳をそばだてた。約2分後、レオポンがギャオと2声泣いた。息絶える声ではなく、細く小さいが、力が感ぜられた。獣舎外の父獣は鉄扉の前に近ずき、獣舎内の様子をうかがって、これまた落付きがなかった。
16時45分、私達は、絶対安静が最善なりと断じ、何人も附近への立入りを厳禁し、一旦引揚げることとした。
最初に発見した従業員の言によって、分娩は16時30分に行われた事が判明し、また、分娩後に母獣と父獣が交互にレオポンをくわえ、かくし場所をさがしつつあった事が推定された。
負傷はどの程度であろうか、助かるだろうか、初産の母獣が上手に育てるであろうか、レオポンは1頭のみであろうか、とヒョウの祖父母獣の平均繁殖数の2頭、ライオンの3頭から推察して、あと1頭が分娩しそうにも思えるがどうであろうか。若しそのまま息絶える事があれば標本にしたものだろうか。若し不幸にして母獣が食べてしまったら、レオポンの誕生も跡片も無く消え去ってしまうであろう。いやいや計画通りうまく行っている。必ず成功する、等々、失望と希望と懸念と願望がいりまじり、興奮と感激とが無限に広まって、一夜、まんじりとも出来なかった。

1959年11月3日 火曜日 曇後雨
気温 最高25℃、最低15℃ 獣舎内温:最高21℃、最低19℃
長い長い不安とあせりの一夜が明けた。7時、待ちに待った審判の瞬間が来た。私は全神経を傾注し、緊迫この中に獣舎内をのぞきこんだ。雲間からもれるうす日の差し込む獣舎内をグルリと眼探った。居た。レオポンが居た。2頭だ。ふくよかな薄茶色に茶の斑点を散らした産毛に包まれた塊が、きれいに敷きならされた藁の上に、2つ並んで動いていた。母獣は、約30cm離れて背を向け、満足し切った表情で横臥し、眼をしばたいていた。興奮と感激がドカンと全身に打ち響いた。心臓の鼓動が耳に伝わって来た。助った。成功した。全身が一時にどっとよろこびに包まれて行くのが感じられた。生れて始めての興奮であり、感激でありよろこびであつた。
レオポンの性別は確認できなかったが、第一号の体重は約350g、第二号は300gと推定された。
体毛は全身ライオンの幼獣の如く、淡黄褐色で、斑紋はとヒョウの幼獣より稍薄い黒褐色。頭部及び四肢はライオンの幼獣に近く、胴部は細長くてヒョウの幼獣に近く感ぜられた。
次に母獣が果して授乳を要領よくなし得るであろうかと憂慮された。計画の際、十二分に研究し、自信を持って居たものものの、確認するまでが不安であった。若し不幸にして母獣が授乳しなければ、人工哺乳の決心で、母犬、母山羊の確保にのり出した、一方、母獣に対しては、直ちに、催乳剤Mamigen 20mg、及びカルシューム剤Calciiphosphus Dibasicus 4gを120gの肉片に挿入投与した。
13時、給餌の際、不安のうちに観察すると、母獣は7時の観察時とは激変し、物凄き威嚇のうなりをなし、今にも躍り懸る体勢で私をにらみつけた。母獣が突然起立したため、レオポンは2頭共、乳房をくわえていた処を振り放された。これによって、憂慮された授乳は確実に行われた事を確認した。Mamigen 20mg、Calcliphosohus Dibasicus 4gを120gの肉片に挿入投与したほか、本日からの献立として、鯨肉2,000g、馬肉400g、肉臓1,200g、鶏頭15ケを給与した。
17時観察の際、母獣の興奮度は13時と同程度であったが、レオポンは2頭とも腹部に密着し、母獣に抱え込まれて撫育されていた事が推測された。Miamigen20mg、Calciiphosphus Dibasicus4gを120gの肉片に挿入投与した。
1959年11月4日 水曜日 曇後晴
気温最高22℃、最低8℃ 獣舎内温 最高20℃、最低18℃
10時観察の際は、母獣の興信度も前日に比して相当治まり、おどしのうなりも軽くて短かく、起立のまま警戒をする程度であった。一方、レオポンはヨチヨチとはい、前日に比して、動作もやや力強く感ぜられた。
13時、前記の給餌のほか、本日から、Mamigenを40mgに増量、Calciphosphus Dibasicusを2gに減量し、投与時刻を9時、13時、1時とした。

第四表 レオポンの成長

4.おわりに

以上のように、誕生と授乳は計画通り誠に調に行われ、レオポンもまた健在で、期間に成長しうる見通しが立った。殆んど不可能かと思われた本実験が、数々の貴重な成果を収めて成功する事が出来たのは、
①父母獣の選定確保の時期及び方針が適切であったこと。②父母獣の素質、特に母獣の素質基因であるライオンの祖父母獣の具備する繁殖、撫育の素質が優秀であったこと。③父母獣の飼育中における飼料の配合及び給与量が適当であったこと、等の諸条件が累積具備された結県であろうと思う。
この研究に対して御恩なる御指導を賜った東京上野動物園長古賀忠道氏、京都大学教授、理学博士宮地伝三郎氏に深く感謝し、厚く御礼申し上げる次第である。
レオポン生後30日目(12月3日)
右♂(3,400g)左♀(3,150g)
30 days after birth.Right♂,leit♀
生後42日目(♂4,500g、♀4,100g)
42 days after birth,with the author.
レオポンの家族1956年12月3日
“Leopods”with their parents.
12月14日(生後42日目)
42 days after birth

THE LEOPON

Two“Leopons”,the hybrid of male Leopard and female Lion, were born at koshien-Hanshin Park Zoo on November 2nd and 3rd.1959.
The father Leopard was born on January 3rd,1955 and the mother Lion on March 22nd,1955.and they were brought into same cage on December 24th.1955.
The gestation period was about 101 days They are light yellowish brown,like lion cubs in color, and spotted with blackish brown spots,lighter than that of leopard cubs.They are like lion cubs in their heads and limbs,and the bodies are rather slender like leopard cubs.
One month after birth,female weighed 3,150gr.,and male.3,400, At present,they are growing very well in good conditions