動物園長職責論
発行年・号
1959-01-02
文献名
飼育下グラントシマウマの発情日数と発情周期
所 属
神戸王子動物園
執筆者
山本鎮郎
ページ
29〜31
本 文
広島市安佐動動物園長職責論
神戸王子動物園 山本鎮郎
§1 前おき
動物園長は対内的対外的にいろいろのシゴトをもっている。
“園長は如何にあるべきか”ということと、“園長の現実のすがた”とは多少のズレが生じている。それは園の規模や、都市の職制、又市民全段の動物園に対する態度等から来ていると思われる。
以下に記す所は私の園長のあり方についての考えを述べたものであって、必ずしもすべての動物園にあてはまらないかも知れない。読者各位のご叱正を仰ぐ”ことができれば幸である。
§2 動物園長は管理者である
動物園の園長は動物園の管理責任者である。このことは、先ず疑う余地がない。
管理ということの中には
1. 維持 メインテナンス
2. 運営 マネージメント
3. 支配 コントロール
4. 改良 インプルーブメント
等、種々の作業が含まれていると思う。単なる維持だけではなしに、動物園という施設をフルに動かす、活用することが管理の中に含まれていなければならない。それでなければ管理者として充分活動しているといい得ない。もちろん園長に与えられている権限には自ら限界があり、その権限を逸脱することはいけないし、経済的にもそれぞれ予算のあることだから、その面からの制約もある。ある一定の枠内で、できるだけ園をうまくやって行くというのが管理者たるものの常識だろう。
又園の規模大小、職制等経営の内部的規制によって、園長の権限の大きさもそれぞれちがっていて、一律に述べることは出来ない。例えば上野の園長の権限は非常に大きいが、他の動物園では、観光関係の職員が、園長を兼ねているような場合もある。
ただ動物園長が他の施設と違った点は動物の管理責任をもっているということになる。この点においても、単なる維持でなく、
1.できるだけ永生きさせる
2.できれば繁殖させる
といったことが管理の内容にあるわけである。
そのためには動物についての専門的知識が必要であるが、動物の管理について責任を持つ為には、園長が動物の専門家であることが望ましいと言い得る。この意味において上野動物園その他が、処務規程中に
“園長は技術吏員の中より知事(市長)が命ずる”
とあるのは正しい。
博物館法はこの点はっきりしていないが、国際博物館会議憲章、国際動物園長連盟規約等は、園長が動物についての専門的知識をもった学者又は技術者たることを予想している。
事実世界一流の動物園と目される動物園の園長は、学位又は教職の資格をもつ学者又は技術者であることが多い。
最近わが国では園長が事務吏員であるケースが多くなり、6大都市の動物園では上野、大阪の2園のみが、技術吏員の園長であるのは、上述の意味からすれば必ずしも賛成できないことである。
動物園は単に動物や動物舎だけではなく、種々の公園施設をもっていて、その維持だけでも大へんな仕事である。単なる修繕では時代の要求にアピールできず、従って運営上収入に影響する面もあり、園長は詳しい改良の計画をもっていなければならない。植栽や造園についても、動物舎との関係を考慮すべき面があり、又博物館法にいわゆる教育的配慮ということも必要となって来る。この意味で園長は単に管理者としてではなく、教育者であることが望ましいことになる。管理者としては、一般行政職と等しく、行政上の事務にも通じているべきであり、部下の職員はそれぞれ分担して仕事をしている関係上、園全体のことについては園長が最も豊富な情報と経験をもっていなければならない。
運営面では動物園を一つの商品に見立て、たえず品質の改良を心がけ、又PRに努めねばならないであろう。反面経費の節約も必要である。
園長の職員として“園長は建設局長の命を受け、国の事務をつかさどり所属職員を指揮監査する”(註1)
といった定め方が普通であるが、支配の面では、人の管理と物の管理の両面がある。この両面の仕事も生易しい仕事ではない。いわば園長は有限の権限の下に無限のシゴトをかかえているといった方がいい位である。
管理上の責任を充分に果すためには、園長はいつでも園と連絡をとり得る位置にいなければならない。長期間園長が不在であることは、その間の種々な問題を適当に解決するために都合が悪いであろう。けだし園内に起ったあらゆることがらに対し、園長は責任を有し、責任を以て解決すべきだからである。その面の不都合をさける為めに代理者をおくことは当然の要請であろう。
なお園長として社会が普通要求している管理上の義務を怠った場合は、責任を生ずるであろう。それは普通の職員の注意義務以上のものがあると考えられる。殊に社会通念からすれば、園長は動物の専門的知識のもち主であると考えていよう。従って園長は園内の出系事に対しては、部下の職員より高度の責任を有することは当然である。
§3 園長は教育者である
園長が単に園の管理責任者であるばかりでなく、出来れば教育者であることが望ましいと思う。教育着というのは単に知識技術の所有者であるに止るものでなく、不特定の大衆に対して、正確な動物についての知識を伝達すると同時に、関心を持たせ、動物愛護の精神を吹込むことができなければならない。
具体的には新聞発表、園内展示物等について学術的正確を期しなければならない。いいかえると対外的な発表には園長は責任をもたねばならない。
博物館法は必ずしも園長が教育者であることを要求していないが、園の教育活動を重視していることはもちろんであって、そのために学芸員制度を設け、必須試験科目に“教育原理”“社会教育概論”“視聴覚教育”を含めている。
園長は少くとも学芸員を指導し得る立場にあると考えられるのであって、園内職員の訓練にも責任を持ち得る者であることが理想であろう。いいかえれば職員の直接監督者として、単に服務上の面倒を見るというだけでなく、必要な訓練が出売ることが望ましいであろう。
教育的配慮ということは、学術上の正確と同時に、分り易く覚え易いといった一面を含んでいなければならない。だから案内書やパンフレットの如きも、その内容は正確且つ平易で魅力に富むということでありたい。同時にその内容については園長は責任を有する。
動物園は不特定多数の入園者にその存在を依存しているが、一面動物に趣味を有する一般社会人、又学校団体、芸術家等への教育活動の分野もあることを忘れてはならない。
園長は余力があれば“教育プログラム”を編成して、大学やその他の学校では行い得ない社会教育上の任務を探さねばならない。
最近では視聴覚教育が漸次発達し、映画やテレビの教育的機能が重視されつつあるが、動物園も単に宣伝のみならず、視覚教育資料を充実し、適時公開して、園内外の活動を拡充すべきであろう。
動物園の教育的使命を如何にして果すかはやはり園長の責任である。この意味において園長は教育者でなければならないと思う。
§4 園長は研究職である
園長は種々対内的対外的のシゴトをもっている。従って研究に専念することはわが国のような場合種々困難がっている。しかしながら本来動物園は博物館であって、川村多実二先生のいわれるように、
“今世紀に入って博物学のうちで、実験を必要とする諸分科の研究は大学でやり、分類学ならびに応用方面の研究は博物館でやるというように、両者分業の時代となったのである”(博物館研究第31巻第1号17頁)から、園長は分類学的研究の面では専門の研究者をおくか、自ら研究を進める必要を生じて来ているのである。
ただ一般に“動物園”そのものの博物館的使命に対する自覚が比較的わが国ではおくれている為めに、乃至は各動物園が戦後再開若しくは開園して、まだ新しいために、人員も充分ではなく、研究面は必ずしも進んでいるとはいえないであろう。
実際には私共にとって同定の困難な標本を持って来られることもしばしばあるのである。
分類学上必要な図鑑や文献類はできるだけ多く揃えてもっていることは、当然必要であるが、同時に自らも研究を進めていることが大切である。
分類学上の研究は必ずしも短時日にできることではなく、又園長としてはそう容易に時間が割き得ないのが普通である。
現実には動物園は一二の例外を除き、そこまでゆとりのある経営ができていず、たえず人員不足になやまされているし、又必要な記録も充分とっておくことができない程いそがしくて、研究活動までなかなか手がとどかない状態である。従って園長としてはそれだけ図書資料にたよらざるを得なくなるのである。
稀少鳥獣の保護も一つは動物園の使命となっているがそれには生態の研究が整っていることが前提となる。
この様な意味から園長は研究職を兼ねるものである。